2010年11月 のアーカイブ

【お知らせ】毎日新聞に『プロジェクトBurma取材報告会(11/23)』 関連記事

2010年11月30日 火曜日


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ビルマ取材報告会・東京開催 2010.11.23/撮影 横濱勝博
毎日新聞
『APF通信代表拘束 拘束中に撮った映像などを公開 都内で山路さん報告』
記事詳細はコチラ →http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20101124ddr041040005000c.html
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2010/11/30 0:34

【お知らせ】和田秀子さんの「内憂外患」に『プロジェクトBurma取材報告会(11/23)』 関連記事

2010年11月29日 月曜日


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ビルマ取材報告会・東京開催 2010.11.23/撮影 横濱勝博
和田秀子さんの内憂外患
『プロジェクトBurma取材報告会』~独房で山路さんを励まし続けた活動家~
記事詳細はコチラ →http://p.tl/Ywp0
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2010/11/29 22:29

【APF News】 《市民の声》 オウム進出反対を訴え、地元住民らがデモ行進 (東京・足立区)

2010年11月28日 日曜日


タイトル:オウム進出反対を訴え、地元住民らがデモ行進と大集会 東京・足立区
撮影日時:11月28日(日)
アレフ
アレフ(オウム真理教)が取得したビル(東京・足立区)

アレフ(オウム真理教)が新たに東京・足立区に土地やビルを取得した問題で、地元住民らで組織する、足立入谷地域オウム真理教(アレフ)対策住民協議会は28日、アレフの進出反対を訴えるデモ行進を行った。
デモには地元住民ら約200人が参加し、アレフが取得したビルの前では、「オウムは出て行け!」「オウムは解散しろ!」などとシュプレヒコールを上げた。

同協議会はデモ終了後、旧入谷南小学校体育館で、第3回オウム真理教(アレフ)進出阻止住民大集会を開催。地元住民ら約500人が参加した。
この中で、特別講師として壇上に上がったオウム真理教に詳しい滝本太郎弁護士は、APF通信社の安藤大祐記者が2007年に取材・撮影したオウム真理教(アレフ)の道場内部の映像を上映した後、「オウム集団の現況と住民運動」と題する講演を行った。


※VTR中の滝本弁護士のコメントで「破産手続きの終了は、昨年2009年3月」とありますが、正しくは、「破産手続きの終了は、2008年3月」でした。
2010/11/28 22:44

【特集】 《プロジェクトBurma》 反省会議&「APFサイト」リニューアル会議

2010年11月26日 金曜日


タイトル:取材報告会反省会議&「APFサイト」リニューアル会議
配信日:11月26日(金)

出席者:
山路 徹(APF通信社代表)
冨田 きよむ(報道カメラマン)
サポーターの皆さま
USTアドレス:
http://ustre.am/oZRX
主催:
株式会社APF通信社


ビルマ取材報告会・東京開催 2010.11.23/撮影 横濱勝博
2010/11/27 2:51

【特集】 《プロジェクトBurma》 タイ ビルマ難民キャンプにて (写真/文 八尋伸)

2010年11月19日 金曜日


タイ北部にあるビルマ難民キャンプを訪れた。
タイ国内に数あるビルマ難民キャンプの中でも、比較的自由に行き来できる場所にあり、比較的恵まれたキャンプだ。電気はソーラーパネルで充電し、共有スペースに使うだけで各家には電気は引かれていない。水、トイレもすべてが共用になっているが最低限のものは揃っている。
ここの住人はビルマの、タイのIDも持っていない、住人達は隣国ビルマで2002年に起った戦闘で村ごと逃げてきた人たちだった。

難民キャンプからの風景。真ん中のドラム缶は共同の水場。洗濯、食器洗い、シャワー、
水周りのことはここですべて済ます。

ビルマに住んでいたときの事を語ってくれた。夕飯の支度で忙しそうだった。
「ビルマ軍が村にやってくると女、子供を残して男は全員逃げる。男が見つかると殺されるか、ポーターとして全員連れて行かれる。
女、子供が残る理由は村に誰もいなくなると、食料や家畜をビルマ軍に略奪され皆生きていけなくなるから。
そして、ビルマ軍は次の村への案内役として女を何人か連れて行く。
道中はビルマ軍の世話をさせられ、レイプされ、最後には殺される。運がよかったら解放される。」
「ビルマ軍が村に来たとき、私と子供達は地下の部屋に隠れました。
彼らは私の夫に200バーツ出せと言ったのですが、夫は20バーツしかないと言った瞬間に撃たれ殺されました。国が平和になっても嫌なことばかりだったからもう帰りたくない。」

キャンプで一番高齢の女性。93歳ということだが、3年前も93歳と言っていたらしい。
陽気に色々語ってくれた。

敬虔な仏教徒の彼らの家の中には仏壇に近いものが必ず置いてある。
このキャンプに逃げてきたお年寄りは嫌な顔せず、ビルマに住んでいたときの事を教えてくれた。お茶もご馳走してもらった。
キャンプの男達は昼間に畑を耕し、採れたものを売って賃金を得ている。
中には都市部へ出稼ぎに行き、建設業などの労働で仕送りをしているものなど様々だ。
だが、出稼ぎ組もタイのIDを所持しておらず、不法滞在に当たるゆえ都市部へ出て稼ぐにもそれなりのリスクがある。
実際、チェックポイントは帰りの方が多く、厳しかった。

中国人も多く住むこの地域では中国語も教えていた。この少数民族も中国に多く住んでいるという。

真剣に授業を受ける子供達。

難民キャンプの長が英語が堪能なため、子供達に英語を教えていた。辞書はみんなで使いまわしている。
子供達はキャンプ近くの学校へ通わせてもらっている。キャンプがある地域は国が違えこそ、同じ民族同士ということで受け入れてもらっている事だそうだ。
子供達がキャンプに帰ると、また勉強が始まる。
この日は英語の授業で大人が子供達に教えていた。
子供達は真剣に授業を受ける。
授業風景を撮影していると子供達からは、生きるために学んでいるというのを感じられる。
教育を受けられるというのは彼らにとって幸運であり、チャンスでもあった。
学生時代に勉強をあまりしなかった私は、少し恥ずかしくなった。
昼間に話を聞いた老婆の、子供達が元気で大人になってくれてよかった、としみじみ語ってくれた事を思い出した。

小、中学生のクラス。教科書が一つしかないため、みんな書き写していた。

このクラスはお寺の中で行われていた。
写真/文 八尋伸
※本文と写真は、APF NEWSの《プロジェクトBurma》と時を同じくして、タイ・ビルマ国境でビルマ難民キャンプを取材・撮影していた八尋伸さん(写真家)のゲスト寄稿です。