‘お知らせ’ カテゴリーのアーカイブ

【お知らせ】長井秀夫さん・道子さん 手記全文

2010年9月27日 月曜日

長井健司記者の父・秀夫さんと母・道子さんの手記全文
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※原文ママ 
※この手記は長井記者の地元今治の記者クラブに宛てたものです。
2010/9/24

【お知らせ】産経ニュースに長井健司記者 関連記事

2010年9月25日 土曜日

(以下、産経ニュースより転載)
長井さん母が手記 ミャンマーで射殺から3年
2010.9.24 22:16
 「あの日から三年、心の傷みに関係なく月日は過ぎて行きます」-。ミャンマーで反政府デモを取材中に射殺された映像ジャーナリスト、長井健司さん=当時(50)=の母、道子さん(78)が24日、命日の27日を前に、心境をつづった手記を報道各社に寄せた。
 手記は、愛媛県に住む道子さんが1枚の便せんに手書きでしたためた。「健ちゃんおはよう!」と、毎朝仏壇に手を合わせていることなどを紹介。ミャンマー政府から遺品のビデオカメラが返還されないことについては「決して許さない! この思いは、ゆらぐことはありません」と、強い怒りを表している。
 最近は体調がすぐれない時もあるが、遺品が戻ってくるまでは「元気で生きていてやらないと…」と、気持ちを奮い立たせて暮らしているという。
(転載終了)
産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100924/trd1009242217019-n1.htm

【ご案内】「追悼 長井健司記者 映像・遺品展」 プログラムを一部変更

2010年9月24日 金曜日

「追悼 長井健司記者 映像・遺品展&トークショー」のプログラムの一部が変更となりました。
トークショー「鈴木宗男(新党大地代表)×冨田きよむ(フリーカメラマン)×山路徹(APF通信社代表)」 ※敬称略
<日時>10月1日(金)12:00~13:00
→お申し込みは不要です。
→入場料(500 円)のみでご覧いただけます。
湘南発のフォークデュオ「ふたり」による追悼ライブ
<日時>10 月2 日(土)14:00~15:00
→お申し込みは不要です。
→入場料(500 円)のみでご覧いただけます。
トークショー「渡部陽一(戦場カメラマン)×山路徹(APF 通信社代表)」 ※敬称略
<日時>10月3日(日)11:15~12:45
→トークショーの参加費は3,000円です。
→事前のお申し込みが必要です。
ご不明な点等がございましたらAPF通信社までお問い合わせください。
<電話>03-5574-7301(080-3018-7035)
<メール>ask_apfnews-kanri@apfnews.com
最新のリリースはコチラのPDFをご覧ください。

【お知らせ】朝日新聞に長井健司記者 関連記事

2010年9月24日 金曜日

(以下、asahi.comより転載)
ミャンマーで射殺され3年 長井健司さんの恩師ら墓参
2010年9月24日
 今治市出身のジャーナリスト長井健司さん(当時50)がミャンマー(ビルマ)で射殺された事件から27 日で丸3年。命日を控えた23日、中学、高校時代の同級生や恩師らが同市山路の大谷墓園にある長井さんの墓参りをした。長井さんの愛用したビデオカメラをかたどった墓碑銘のある墓前で、長井さんの冥福を祈った。
 長井さんが市立美須賀中学校1年と3年の時に担任だった山本満洲雄さん(77)は「撃たれても最期まで握っていたカメラには長井君の心、魂が宿っている。何とか取り戻してやりたい」と、いまだに遺品が軍事政権から返還されぬことに憤った。今治西高校で一緒だった薬剤師林雅子さん(53)は「命をかけてまで彼が撮影したカメラが返って来るまで、あきらめません」と話した。(寺門充)
(転載終了)
asahi.com
http://mytown.asahi.com/areanews/ehime/OSK201009230072.html

【お知らせ】共同通信に長井健司記者 関連記事

2010年9月21日 火曜日

(以下、共同通信より転載)
「けん坊」のカメラ返せ 長井さん射殺から3年
 「カメラは『けん坊』のもの。返してほしい、返せ」―。反政府デモを取材中のミャンマーで映像ジャーナリスト長井健司さん=当時(50)=が射殺されてから27日で3年を迎える。最後まで握りしめていたビデオカメラはいまだに所在が分からない。愛媛県に住む母道子さん(78)は一日も早くカメラを取り戻したいと訴えている。
 長井さんは大学卒業後、米国に留学。帰国してからテレビ局関係の仕事に就き映像ジャーナリストを志した。道子さんによると、子どものころは恥ずかしがり屋で、ジャーナリストの道に進むとは想像もしなかった。
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 射殺された日のことは今でも忘れられない。「外務省から突然電話があり『まさか』と思った。撃たれて倒れるシーンが何度もテレビに映し出されたのが本当にショックだった」と振り返る。
 当時の映像では、ビデオカメラを握ったまま倒れる姿が映っていたが、カメラの所在は不明のまま。日本政府はミャンマー側に返還を求めてきたが、実現していない。
2010/09/18 17:41 【共同通信】
(転載終了)
共同通信
http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010091801000561.html